創風社出版
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星のおじいさま
藤井 玲子   文/絵 
 西岡センセイと初めて会ったのは、私が愛媛に来て最初の年、二〇〇二年の夏だった。
 川内町の旧滑川小(生活改善センター)で行われるベルセウス流星群の観測会で、センセイは主催者「すぼる星空友の会」の会長だった。
 集落がひっそり寝静まる頃、蚊取り線香を濛々と焚いた宿直室で、センセイのおはなしが始まる。
 「みなさん、星はいくつ見えるか知ってますか?だいたいこの北半球だけで三〇〇〇個見えます。だから星はサンゼンと輝くのです!」 年季の入ったおやじギャグでつかんだかと思えば、手書きのイラストをOHPで投射し、ギリシア神話、三国志、七夕伝説など、星にまっわる話を縦横無尽にくり広げた。大人も子供も星座でアタマがパンパンになったころ、校庭で望遠鏡を合わせていた西田事務局長が呼びに来る。
「さぁ、空が晴れてきましたよ」待ってました!と校庭に走り出て夜空を見上げる。
 「最近の子供は実際の星空を眺めることを知りません。宇宙の広さ、神秘、星や星座を見つける喜びを知ってほしいのです」 そして宴たけなわ、センセイ考案、「西岡式腕長指間法」の説明になる。
 センセイは大きな体からぐいと長い腕を突き出し、真っ暗闇の先にある水平線をにらみつけ、親指を起点に人差し指を尺取虫のように這わせ、みごと北極星を探し出す。大人も子供もセンセイにならって競うように夜空に向かって腕を突き出す。清らかに輝く北極星にたどりつき大はしゃぎ。
 なんでもセンセイは戦争中、この「腕長指間法」で北極星を探し、自分が乗っている輸送船が南方に送られるのを予測したのだとか。
 軍事機密ゆえ、本人にさえ行き先 を教えられなかったという。
センセイは大正十年、北条の生まれだ。師範学校を出てすぐ兵隊にとられ、復員後、長らく小学校や中学校の校長先生をしていた。
 生徒一人一人に声をかけるよう心がけていたそうで、八十歳を過ぎても、デパートのエレベーターで騒ぐ子供に向かって、
 「なかなか活発な坊やですなぁ」と、おおらかに笑いかける、いつまでたっても「センセイ」な人だ。(親はさすがにバツが悪そうだった。)
 「ホメて伸ばす」 のがセンセイの神髄かと恩いきや、中学の教え子、ヨシノウチ君 (昭和十二年生まれ) によると、センセイは「鬼の西岡」と呼ばれ、旧日本軍仕込みの 「鉄拳制裁」も辞さなかったという。 センセイに真偽のほどを確認すると、「そんなこともありましたかなぁ。ハッバッハツ!」と笑ってゴマかした。
 好物のぼた餅を食べ過ぎて奥さんに怒られている時も、「ほうじゃったかのお?」…と、都合が悪くなるとひたすらトボけ、一緒にいる私に向かって「いやぁフジイさんはお若く見えますなー。女学生のようですな」 「大和撫子の優秀な秘書や!」などと、極端な話を振ってその場をしのいだ。
 そんな隙だらけとも言えるセンセイの目が、小さく鋭く光る時がある。その底知れない暗さに、わたしなどとうてい立ち入れないセンセイの来し方を感じずにおれなかった。
 センセイは激戦地ビルマで終戦を迎え、二十二年三月まで英軍捕虜として労役に服した。
 ギリシア神話や三国志などの話術は、知的好奇心に飢えた隊員たちにせがまれることで磨かれた。
一人一日米一合しか支給されず、英軍キャンプへ着くなり列を乱してゴミ捨て場へ走っていく隊員たちをセンセイは指揮官でありながら制止できなかった。空腹がわかるからだ。休憩時問、英国軍曹に呼び止められ、缶詰のチーズを手渡された。そのおいしさと思いやりの心に、「戦争だけでなく文化でも負けた!」と、その時初めて日本の敗北を認めたそうだ。
 「『国家』なんて観念はどこにもなかった。ただ、家族を守るんや、こうして自分が闘っている間に少しでも家族が無事であれば」「おとうちゃん、おかあちゃん、死にとうない。生きていたい。特攻隊員は敵機に当たる寸前までそう思っていたでしょう。ただ闇雲に若さに任せたわけではないのです。それがわかるだけに身につまされます。家族を守る、それ一心です」
 センセイは、戦没兵士やその遺族の素朴な気持ちを若い世代が「軍国主義的だ」と突き放したり、まして政治家が票集めに利用することに複雑な思いをもっていた。
 ちょうどその頃、二〇〇三年三月、イラク戦争がはじまり、翌二〇〇四年一月、日本も陸自を派兵、アメリカに追随した。六月には国民保護法を含む有事関連七法が成立。同六月、松山では『坂の上の雲のまち再生計画』が国の地域再生本部(本部長‥小泉元首相)より認定された。
 それでなくても国が十分キナ臭いところに、松山の「まちづくり」までもが同調してどーするよっー・と思っていたワタシは、センセイにとって「戦争前夜」を語り合う格好の話し相手だった(と思う)。
 「いやぁ、あなたと話しとると、三十年寿命がのびるようですわい」
 センセイの口癖を聞くたび、「何歳やねん!?」って、心の中でツッコんでいた。
 ま、たしかに、刺身定食をベロリとたいらげ、さらに抹茶ソフトでしめる健啖ぶりを見るにつけ、ずっとこんな時間が続くような気になっていた。
 昨年の二月、センセイは星空に旅立った。いつかこの日が来るのはわかってたけど、彗星の予測のようにはいかず、離れて暮らす私にとって、突然の知らせだった。
 夏の夜空に泰然と輝く赤いおじいさん星、さそり座のアンタレスはセンセイの星。また会える。そう思うことにしよう。
 そして十二月。安倍内閣のもと、外交・安保の司令塔となる「日本版NSC」と「秘密保護法」が成立。集団的自衛権の容認や武器輸出三原則の見直しなどやりたい放題だ。
 前線に行きもしない、本当の残酷さ、悲惨ざを知らない一部の政治家たちによって大事なことが決められ、「個人」より「国家」 の利益が優先される…まさにセンセイがいまいましく思う事態だ。
 ワタシとて行き先も知らされない輸送船にいきなり押し込められた気分。
 暗闇の大海の中、自力で北極星を探し、自らの行く末について腹をキメる覚悟のないワタシ。どうやって船から降りるか…そればかり考えている。